プロダクトにおける価値に向き合う

プロダクトマネジメント

最近、「あれ?うちのプロダクトって何が強みだったっけ?」と自分で自分にツッコミを入れることがある。
最初は“この人のこの課題を絶対に解くぞ”という気持ちで始めたのに、気づくと色んな声に引っ張られて、価値が薄まっていく。

PdMをやっていると避けて通れない“価値迷子”問題。
今日は、そのあたりのモヤモヤを言語化してみようと思う。

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プロダクトの価値とは

プロダクトの価値は、「誰の」「どんな課題」を解決するかに尽きる。どれだけ機能がリッチでも、どれだけデザインが美しくても、根っこに“課題の解消”がなければ、それはただの道具の形をしたオブジェにすぎない。

「使えるけど、使う理由がない」プロダクトが意外と多いと感じている。何なら今私が関わっているプロダクトもここが明確にできていない。
理由はシンプルで、解くべき課題が明確じゃないからだ。

逆に、課題がはっきりしているプロダクトは、多少不格好でも価値が伝わる。ユーザーは「これ、自分のあの悩みをちゃんと解いてくれるやつだ」とすぐに理解できる。そこにこそ、プロダクトの存在意義が生まれる。

課題に真っ直ぐ向き合えているかどうか。それが、プロダクトの価値のすべてだと思っている。

価値が曖昧になる瞬間

最初は“特定のユーザーの強い課題”に向き合っていたはずなのに、気づけばターゲットが広がり、ユースケースが増え、色んな声が混ざり始める。気がつくと、価値がどんどん薄まっていく。

特にやっかいなのは、「誰の課題なのか」が見えなくなった瞬間だ。
“平均的なユーザー像”を想定しはじめると、ユーザーの解像度は一気に下がる。結果として、誰でも使えるけど、誰も本気で喜ばないプロダクトができあがる。

「なんでもできる」は一見強そうに見えるけど、本質的な価値は逆に伝わりにくくなる。
ふと「結局このプロダクト、何が得意なんだっけ?」と立ち返ったとき、答えが出てこない状態になってしまう。そうなると、プロダクトとしての価値はほぼ失われている。

真の価値にたどり着くための問い

価値が揺らいだと感じたら、立ち止まって問い続けることが大事だ。正しい問いを投げ、Whyを何度も深掘りすることで、本質にたどり着ける。

その機能は誰の“痛み”をどれだけ軽減するのか?

何でもできる状態になってしまうと、痛みの解消度合いも薄まりがちだ。

しかも、ユーザーが自分の痛みに気づいていない場合もある。ずっと怪我していると痛みに慣れてしまうように、「本当は困っているのに、もう諦めてしまっている」ケースは意外と多い。
こういう時は、丁寧な対話の中で痛みを掘り起こす必要がある。
そして、そこにこそ本当の課題が潜んでいることがある。

その価値はユーザーの行動をどう変えるのか?

Before/Afterを想像してみて、行動が変わらない価値は、だいたい“良い話”どまりだ。
行動が変わって初めて、価値は血の通ったものになる。

ユーザーが「痛みがなくなった」と感じる状態はどんなものか。その未来を具体的に描き、それを実現できるかどうかが大事になる。

その価値はプロダクトの“芯”とつながっているか?

便利だけど本質じゃない機能は、長期的にはメンテの負債になる。
「それ、うちが解くべき問題?」と問い直すだけで、かなり整理できる。

こういう“問い”を持ち続けることで、価値の揺らぎを定期的にリセットできる感覚がある。

最後に

プロダクトの価値は、最初に決めたら終わりではない。
市場の変化、ユーザーの変化、機能の増加、技術の進化――。あらゆる変化の中で、ユーザーの課題も、提供できる価値も常に変わっていく。

だからこそ、PdMは価値から目をそらしてはいけない。
価値を曖昧にした瞬間、プロダクトはゆっくりと役割を失っていく。

価値に向き合い続けること。それこそが、プロダクトを長く生かし続けるための唯一の方法だと思っている。